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松尾芭蕉の旅の始まりを訪ねて

  • 執筆者の写真: atsux.
    atsux.
  • 6月21日
  • 読了時間: 3分

更新日:7月13日

皆さんこんにちは。「散歩道Blog」へようこそ!


松尾芭蕉の出発点


松尾芭蕉(MATSUO Bashō)の『奥の細道』("The Narrow Road to the Deep North")の冒険が始まったのは、足立区にある隅田川の千住大橋のたもとです。元禄2年3月27日(西暦1689年5月16日)に、彼は深川から船で隅田川をさかのぼりました。日光街道の宿場町である千住で船を降り、門人たちに見送られながら、東北、そして北陸の旅に出発しました。


今回は、芭蕉の足取りを辿るために、東京水辺ラインの「いちにちゆらり旅」というクルーズに参加しました。このクルーズは月に一度行われ、両国リバーセンターから千住まで水上ボートで進みました。


両国リバーセンターを出るとすぐにスカイツリーが見えてくる
両国リバーセンターを出るとすぐにスカイツリーが見えてくる
船の旅中の風景

船旅の楽しみ


船の屋上の展望デッキからは、スカイツリーやアサヒグループ本社ビルの金色のオブジェが見えました。約二十分の船旅を楽しみながら、いくつかの橋を通過しました。蔵前橋や駒形橋など、橋の下をくぐるたびにクルーの指示に従ってしゃがむ必要がありました。


鉄橋の下を駒形橋へ向かう水上ボート
鉄橋の下を駒形橋へ向かう水上ボート
アサヒビール本社の金のオブジェ
水上ボートの途中風景
アサヒビール本社の金のオブジェ

スマートフォンでの写真撮影は、炎天下のためすぐにオーバーヒートして機能しなくなりました。急いで船室の冷房で冷やしました。


水上ボートは波を立てながら進んでいきました。江戸時代の船はどのように進んでいたのか、想像が膨らみます。また、両国から千住までの約10キロの距離を25分ほどで到達しました。


千住千住汐入大橋
千住汐入大橋

千住大橋に到着


千住で下船した後、約20分ほど歩いて千住大橋のたもとにたどり着きました。そこには釣り船が利用する船着き場があり、『奥の細道』の名場面が描かれた壁画もあります。


千住大橋の船着き場
千住大橋の船着き場
壁に描かれた名場面
堤防の壁に描かれた<旅立ち>の一節

千住大橋のたもとなる大橋公園には、芭蕉の旅立ちを記念する「奥の細道矢立初めの地」の碑があります。その近くには、矢立初めの句「行春や 鳥啼魚の 目は泪」の句碑も設置されています。


この句は、春の過ぎ行くことへの惜別と、未来の旅への思い、そして見送る者との別れの寂しさを表現しています。現代の私たちには少し大げさに感じるかもしれませんが、この趣向は中国の古典にも影響されていると言われています。


現代と江戸時代の対比


芭蕉が旅立った頃の千住の風景は、現代とは大きく異なっているでしょう。それでも、旅立ちの地としての歴史は今も息づいていると感じられます。


千住大橋のたもとの大橋公園にある矢立初めの記念碑
千住大橋のたもとの大橋公園にある矢立初めの記念碑

大橋公園には、北斎を讃える顕彰碑も設置されています。ここに刻まれた浮世絵は江戸時代の千住の風景を現代に伝えています。


北斎の顕彰碑にある浮世絵
北斎の顕彰碑にある浮世絵 (千住の花街、富士、刈取が終わった田んぼ、大名行列の鉄砲隊が描かれている)

千住大橋の矢立初めの記念碑から200メートルほど離れた場所には足立市場があります。その入り口の近くには、芭蕉の石像も立っています。


芭蕉の石像
西日に立つ芭蕉像
西日に立つ芭蕉像

銅像のそばにある句碑には「鮎の子がしら魚送る別れ哉」という句が刻まれています。この句は『奥の細道』には収められていませんが、千住を舞台にした名句として、長く語り継ぎたいものです。小さな鮎の子や白魚を通した表現に、見送る人々への感謝の気持ちが込められています。


東京を訪れる際に


もし東京を訪れる機会があれば、ぜひ千住を訪れてみてください。芭蕉が旅を始めた地を想像しながら、歴史に触れる時間を過ごせるはずです。今回は水上バスを利用しましたが、電車でもアクセス可能です。千住大橋駅は京成本線の日暮里駅から3駅の距離にあります。


それでは次回のブログでまたお会いしましょう。



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