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香取市佐原の魅力と伊能忠敬の足跡

  • 執筆者の写真: atsux.
    atsux.
  • 7月20日
  • 読了時間: 3分

更新日:9月8日

今回は香取市の佐原(さわら)にやってまいりました。香取市佐原は、成田市の北東、30キロほどのところに位置する美しい町です。総武線で成田まで行き、JR成田線に乗り換えます。東京駅からは電車で2時間ほどかかります。佐原駅から小野川沿いの古い市街地までは歩いて10分ほどでした。


佐原の風景
佐原の街並み
小野川の景色
歴史的な建物

歴史が息づく町、佐原と「日本地図の父」伊能忠敬


香取市佐原は江戸時代、利根川水運を利用した商業で繁栄を極めました。現在も江戸情緒あふれる町並みが保存されています。土地や家だけでなく、その実業も引き継いでいるところが多いといいます。


この美しい町を散策すると、必ずと言っていいほど、ある偉大な人物の足跡に出会います。その人物は、日本で初めて実測日本地図をつくりあげた「日本地図の父」伊能忠敬(1745-1818)です。


伊能忠敬の像

佐原の歴史と伊能忠敬


伊能忠敬は、延享2年(1745年)に上総国山辺郡小関村(現在の千葉県九十九里町小関)に生まれました。17歳の時、佐原の伊能家へ養子に入りました。彼が家督を継いだ伊能家は、酒造業や米穀商を営む豪商でした。忠敬は、伊能家の家業をさらに発展させ、佐原の名主を務め、町の発展にも貢献しました。


しかし、50歳で家督を譲り隠居した後、彼は江戸に出て幕府の天文方である高橋至時(たかはしよしとき)に弟子入りし、本格的に天文学や測量術を学び始めます。そして、55歳から71歳までは日本全国の測量を続け、弟子とともに「大日本沿海輿地全図(だいにほんえんかいよちぜんず)」を完成させました。測量のために歩いた距離は、地球一周にも匹敵すると言われています。


伊能忠敬測量隊の出発点


佐原の町中を流れる小野川沿いには、伊能忠敬の旧宅が保存されています。忠敬が50歳まで実業を営み、55歳から日本全国の測量をするにあたっての準備を進めたこの場所は、国の史跡にも指定されており、当時の商家の暮らしぶりを垣間見ることができる貴重な場所です。


対岸には伊能忠敬記念館があります。ここには、2010年に国宝に指定された地図、文書、測量器具等2345点のうちのいくつかを含め、忠敬に関する貴重な資料が多数展示されており、彼の偉業をより深く理解することができます。今回も、熱心に見入る来館者の姿が印象的でした。どの展示も撮影禁止なのが少し残念なところです。


伊能忠敬記念館

展示品
記念館の外観
伊能忠敬の業績

忠敬の情熱をはぐくんだ佐原


彼の成し遂げた偉業は、その後の日本の発展に多大な影響を与えました。その偉業の原点となる情熱をはぐくみ、経済的な支えにもなったのが、伊能家とこの美しい佐原の町だったのでしょう。


江戸の外郭にあって水運を生かし、繁栄を築いた人々の営みの歴史と、日本の未来を切り開く礎となった一人の人間の計り知れない情熱に思いを馳せながら、この美しい町を散策してみるのはいかがでしょうか。


佐原の風景
町の風景

佐原の自然と特産品


佐原は歴史的な背景だけでなく、自然の美しさも魅力です。小野川沿いの散策路は、四季折々の風景を楽しむことができます。春には桜が咲き誇り、夏には緑が生い茂ります。秋には紅葉が美しく、冬には静けさが漂います。


また、佐原では地元の特産品を楽しむこともできます。新鮮な魚介類や地元の農産物は、訪れる人々に喜ばれています。食事を楽しむことも、佐原を訪れる大きな魅力の一つです。


再訪を心に誓いつつ


帰りは「佐原駅北口」のバス乗り場から「バスターミナル東京八重洲」行きの高速バスに乗りました。暑い中を歩き回って疲れていたので、高速バスはとても快適に感じました。


それではまた次回のブログでお会いしましょう。



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