「多摩の横山」の歌と万葉仮名
- atsux.
- 5 日前
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更新日:3 日前
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今回は、多摩市一本杉公園の歌碑を訪ねました。
京王線多摩センター駅の10番のバス乗り場から京王多摩車庫前行に乗り一本杉公園で降ります。降りてから進行方向に5分ほど歩くと到着です。

一本杉公園には野球場や、水遊びができる人工の川や池があります。




小高い丘が長く続くこの辺りは、古くから「多摩の横山」と呼ばれていました。その尾根伝いの道は東国から都へ向かう重要な交通路でしたが、現在は「よこやまの道」と呼ばれ10キロほどのウォーキングコースになっています。

万葉集に「多摩の横山」にゆかりのある歌があるのですが、一本杉公園は、そこを通る「よこやまの道」の中ごろにあって、その歌が刻まれた歌碑が建てられています。今回はその歌碑を訪ねました。
公園に入り歩を進めていくと、ほどなく、池のほとりに歌碑らしきものを発見しました。


歌碑の表を見ると、「赤駒を山野に放し捕りかにて多摩の横山徒歩ゆか遣らむ」と刻まれています。
作者は宇遅部黒女(うぢべのくろめ)という女性で、防人という軍役に召集されて筑紫(九州)に向かう、椋椅部荒虫(くらはしべのあらむし)という人の奥さんです。
歌の意味は次のようなものです。
「赤駒を山野に放して、捕らえることもできず、夫には徒歩で多摩の横山を行かせなければならないのだろうか」
夫にせめて馬に乗って楽に旅をしてほしいと願う妻。しかし、その願いは叶わず、夫は遠い道のりを徒歩で進んでいく。その悲しみと無力感が「徒歩ゆか遣らむ」という言葉に凝縮されています。
万葉集に収められている歌は、7世紀後半から8世紀後半のもので、その頃はまだ平仮名はありませんでしたので、原文は全て漢字で書かれています。この歌碑の歌も原文は日本語の音を表記するために使われた漢字、いわゆる万葉仮名で表記されていました。帰ってから原文を調べてみると次のようなものでした。
「阿加胡麻乎夜麻努尒波賀志刀里加尒弖多麻能余許夜麻加志由加也良牟」
これを、ひらがなに全て置き換えると次のようになります。
「あかごまをやまのにはがしとりかにてたまのよこやまかしゆかやらむ」
碑に刻まれている一般的な読み下し文「赤駒を山野に放し捕りかにて多摩の横山徒歩ゆか遣らむ」と比べてみると、「山野」は「やまの」、「放し」は「はがし」と発音され、「徒歩」は「かち」ではなく「かし」と訛って発音されていたことがわかります。「かねて」は「かにて」に転じています。東国の発音の特徴が所々に反映していることが推測できます。
この万葉集の歌の万葉仮名による表記を眺めていると、1300年も前にこの地で生活していた人の肉声が聞こえてくるような気がします。心の底にあって、歌を構成させたポエジーと、奈良時代の庶民の女性の深い思いが、色あせることなく現代に生きる人の心にも響いてきます。
いにしえに思いを馳せながら、「よこやまの道」を散策し、一本杉公園の歌碑に立ち寄ってみるのはいかがでしょうか。タイムスリップした万葉の時代の人に出会えるかもしれません。春の若葉の頃や、秋の紅葉の季節の頃は特におすすめです。
ではまた、次のブログでお会いしましょう。
<参考文献>
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