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山頭火の見た青い山

  • 執筆者の写真: atsux.
    atsux.
  • 4月26日
  • 読了時間: 2分

更新日:6 日前

「日本語オンラインクラス散歩道」ブログ 25.4-⑤



こんにちは。

「日本語オンラインクラス散歩道」へようこそ。


分け入つても分け入つても青い山   種田山頭火(1882-1940)


これは種田山頭火(たねださんとうか)の最も有名な句の一つです。山頭火の人生は波乱に満ちた人生でした。そして、人生の多くを放浪のうちに過ごしています。しかし、最後まで自由律俳句という、型にとらわれない表現を追求し続け、自らの孤独に向き合いながら、その心象を飾り気のない言葉で詠み続けた俳人です。


この句の前書きには「大正十五年四月、解くすべもない惑ひを背負うて、行乞流転(ぎょうこつるてん)の旅にでた。」とあります。1926年、解決することの困難な人生の迷いを背負いながら、生きる意味を探して、僧としての修行の旅に出た時の作品だということが分かります。


約百年も前の句を、今回なぜこのブログで取り上げようと思ったのか自分で考えてみました。


それは、現代社会を生きる私たちも、先行きの不透明な情況に置かれており、実は、山頭火と同じような地点で戸惑っているように思えるからです。私たちは、いったい、どこへ向かっているのでしょうか。私たちはあまりに多くの困難な課題を現代社会から突き付けられているように思います。


山頭火はひたすら山深く分け入っていきます。すると、その先にもまたその先にも青い山が広がっています。人生の進路を見失いかけた孤独な山頭火にとって、山々は圧倒的な存在として映ったことでしょう。しかし、その緑なす山は、苦悩する山頭火の心を、どこか深いところで癒し、勇気づけてくれていたかもしれません。


青い山並みはあくまでも雄大で直接は語りかけてきません。しかし、行き先を見失いがちな私たちの心をいつの間にか優しく包み、勇気づけてくれる、かけがえのない存在に思えます。




 
 
 

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